2013年07月19日

講演会で聞いたこと

先日、教育問題の講演会に行き、共感できる
内容がたくさんありました。

生きていくための教育は、昔から、「読み、書き、そろばん」でありました。
江戸時代の識字率は男性約6割、女性約5割
であったようです。これは世界でも秀でたものだったようです。

優秀な人ほどほっといても勉強はする。本来は、優秀な人以外の人のために教えるのが初等教育であるとのこと。
今の学校は普通科が多すぎ、多様性を必要としてないようだとのことです。

民主党の時代に教育で一つだけいいことをした。それは、
大学入試において点数だけでなく、人間を見ることも必要とした。
中教審の答申次第では、大学入試も変わると考える。

正解のある問題を解く能力だけでは駄目である。
小学校から、国語力が必要である。国語とは国家の
文化・歴史・伝統を背景とした言葉である。国語は国語の問題
集をやっているだけではだめ。これは日本語の勉強です。
しっかりした、いい本をたくさん読むことが必要です。
教員も意識を変えないといけない。小学校は全教科お教える
が、教員は国語を知らない。

福井県の知事は選挙の公約に漢字教育を訴えられ当選し、
福井県は秋田県と並ぶ教育県となった。運動会の在り方など
本来の競技の目的と違ってきていると言われました。人間は平等であるが、
年月と共に能力や個性が違ってくるものである。
昔は、働く場は単純労働の職場がたくさんあったが、いまは少
なくなっている。そのために働く場がなくなっていると言われました。
厳しい時代であります。

以上が講演内容でしたが、全てをメモしている訳ではないので、
間違った解釈をしているところもあるかと思います。

講演の中で英語教育について話されていました。
小学校からの英語教育はいらないのではとの意見でした。
「発音なども勉強していない指導者から習うと大変です」とのことでした。
講師も英語教育を全否定はされていませんでしたが、
その前にやることがあるということだと思います。私は、
先般の定例会において、留学制度の充実を訴えました。
講演にあるように、個性がない学生をつくる教育は
教育ではないと考えます。

英語は確かにツールでしかありませんが、この英語を
勉強することにより、個性を発揮する機会が
出来ると思います。発音もそうですが、どうでもいい
とは言いませんが、とにかく話せることが大事と思います。
カタカナの発音記号でもいいと思います。たとえば、
広島弁でけんか腰に相手に対し、
「わらー」と言えば・・・水だそうです。
良いんです、外向きな子どもを育てることも必要です。

日本は昔の文化がなくなりつつあります。日本のよいところは
伝統・文化を大事にしながら、よその文化を研究し
採り入れる事の判断をしてきました。
以前、私が一般質問をしましたが、日本本来の家の造りを変えて、
西欧文化を取り入れた団地が出来上がり、それをまねた
一軒家も続々と出来上がりました。それにより親子の会話が
少なくなり、核家族化が急速に広がって来ました。
これは日本文化を守り、西欧文化を採り入れたと勘違いを
した結果です。

形だけ西欧で中身をつくらなかったことによります。
西欧は、個室は着替えと寝るところで、勉強などは居間でします。
このように、日本の文化や伝統・歴史は今一度考え直し、
残すものと採り入れるものの判断をしていかなければなりません。
講師がおっしゃっている国語力もそうです。
posted by 永田 雅紀 at 15:18| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする